アートビオトープ那須に行ってきた

珍しく那須に行ってきた。僕はあまり知らない場所だけど、詳しい友人がいろいろ教えてくれるので、それでなんとなく、春に那須に行くのが恒例になっている。今回もその友人が教えてくれたいくつかの場所に行ってきた。今回は、アートビオトープ那須のなかにある【水庭】について、なにか書きたいと思ったので、久しぶりに書こうと思います。結構よかったので。那須はなんだか素敵スペースが多い。

 

あんまり調べもせずにいたし、写真だけみて、なんとなくおしゃれなところだなってぐらいのイメージしかしてなかったんだけど、湿地帯(であろう場所)に広葉樹があるというのは明らかに不自然な景観。それをそれと思わせずにしれっと存在しているけれど、考えてみればとてもおかしなものなのだ。そして、その水庭を目の前にして、自分が無意識に「そういうものがある」と、自分の理論で存在を肯定していたことを、覆されたような気がして、はっとする。その場所に行くまでにはいろいろ気にしていたこともあった。この時期では葉も生えていないだろうなとか、だからちょっと寂しい感じだろうか、とか。けれども、全然そんなこともなかった。木の枝が伸びる形の面白さは、人工的な木々の配置によって余計に際立って見えた。それにこの日は快晴で、風も穏やかに吹く、気持ちの良い場所だった。

 

そして鴨がいた。鴨の存在が、僕にとってこの水庭の印象を強くした。

鴨は、僕たちが近づくとそれとなく離れていく。人馴れしていない。遠くから、鴨の様子を見ていた。この水庭には大小様々な、いわば水たまりがある。鴨はそんなとき、水たまりと水たまりの間は、歩いて移動した。そして、ある水たまりを飛び越えて、向こうの水たまりに行くということはしないのだった。ときおり水のなかに顔を入れたりしながら、地面ではしきりに何かをついばみながら、鴨は僕らから、できるだけ離れていくように、水たまりに入り、ペタペタと陸に上がって、また別の水たまりに移っていった。決して素早くないその動きが、なんだか滑稽に見えた。

 

長谷川眞理子氏の「進化とはなんだろうか」という学生向けの生物学の本に、鳥が場所を移動すること、例えば歩いて餌をさがすこと、飛んで場所を変えること、の中にも行動の最適化があるのだということを紹介している箇所があった。そのことを思い出した。

 

適応とは、生き物の形や行動が、その暮らし方に非常にうまくあっていることをさします。これは、ちょっと漠然とした言い方ですが、場合によっては、どんなことをするのが一番都合がよいかを計算することができます。これは、最適化の理論と呼ばれています。

長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』岩波ジュニア新書 129項)

 

その水庭にいた鴨たちも、最適な行動を行っていたのだろう。そして、その姿が可愛らしくも、珍しいような気がするのは、やはりこの水庭が、自然ではない姿であるからに他ならない。

 

こんな風景は自然の中には存在しない。

だから、少しでも人が手を緩めると崩壊してしまうフィクションであり、その蜻蛉のような儚さが人を引き付ける。

石上純也 入館時にもらえる小冊子 20項「平成30年度芸術選奨 贈賞理由一覧」より抜粋 から)


この水庭を設計した石上氏の狙いの中でも、この水庭は不自然なものである。一見すれば、緑豊かな自然ではあるけれど、だからこそ一層、その不自然さは強調されているように思えてくる。その中に、そんなことは御構い無しな鴨たちが、悠々としている。鴨たちは、鴨たちの行動の最適化を行って、この水庭を見つけて生活をしていた。何気ないことなんだけど、その鴨たちの行動を、その強さを、面白く見ていた。