斎藤清美術館に行ってきた。2

はにわと聞いて僕が想像するもの。考えてみれば、特にないかもしれない。強いて言うなれば、どうぶつの森のアイテムとして登場するコミカルな動きをする置物のはにわくらい。

久しぶりに開館した斎藤清美術館に行ってきました。再開初日に合わせて、国立近代美術館の学芸員の方の講演もあったので途中からながら聴講。最初から聴けなかったのでテーマとかが見えてないながら、どうやら「はにわを取り巻くイメージの話」のようで、とても面白かったです。
主に1950年前後、つまり戦前から前後にかけてのはにわの社会的な存在感というのがテーマのようでした。はにわの造形的なイメージは、戦時中には「原始・貧しさ・犠牲的精神・愛国」などの要素を通して軍国主義的なアイコンに、翻って戦後は、それらを排除した「縄文・素朴・抽象・西洋的モダン」などの美的なイメージと結びついてきた過程があったとのこと。
 
あるモチーフが何かを意味するということは、多分どんな国や時代においても存在してきた文化で、例えばキリスト教において白い百合が処女性を表すとか、そういう図像学みたいなものもありますが、それに近いもの、または共有される図像のイメージが出来上がる過程を垣間見れたような気がして、そこがすごく興味深いなと思いました。同時に、変わることなくある一つの意味を固定し続けることの難しさというのも感じます。だってはにわは、たった10年で生々しい戦争の匂いを消し(おそらく)て抽象芸術の先駆として取り上げられ、そして今の僕はなんの造形的・図像的イメージを持っていなかった訳です。ある意味合いを、ずっと保持し続けてきたイメージが、いかに力強いものであるのかということも考えさせられます。
 
軍国主義の匂いが消えたのは、もちろん戦後の美術家たちの努力があったということは言うまでもなく、その時に「はにわの美」に世間の目は向けられました。
日本が観光地としても世界に開かれつつあった1950年、美術界ではモダンや抽象というものが流行り、なおかつ近代化する社会は鉄とガラスの世界へ。その中では、粗野とも言える土の質感でありながら意外にもモダンでシンプルな造形を持っていたはにわは、当時の社会の「所有したい」欲に叶ったものだったことを指摘されていました。

 

さてそんな訳で今回の展示、はにわがテーマであって、なんと本物のはにわや土器も展示されていました。映画「ドラえもんのび太の日本誕生の中に出てくるはにわ型の悪者のようなまさに「ザ・はにわ」みたいなものが見れて嬉しくなりました。紀元前1000〜300頃のものと書いてあったような気がします。まずこれだけでも見る価値あり。
 
斎藤清はこんなにもはにわをテーマに作品を作っていたんだなという驚きつつ、抽象的表現をじーっと観てました。抽象って、物事を曖昧にしたり、なんとなくそれっぽいアートをすることではなくて、その対象の本質を捉えるという行為っていうことなんだろうかと、今更ながら考えます。マルサンカクシカク。子どものころそんな歌を聞いてた記憶もあり、シンプルで単純で分かりやすいものは、きっと見ていても心地よいのでしょう。縄文人がどんな理由で、ああいう造形を選んだのかは分からないとしても、清を含め、戦後の美術家たちは、縄文の人々が持っていた素朴な感性の痕跡の中に、そこから脈々と、今に続く僕たちも持ち得るその感性を再発見したいと思ったのでしょうか。
 
今回特に好きだったのは「ハニワ(1)(3)」かなー。黄土色、グレー、黒の色が素敵だった。色について言えば気になったのが「踊る ハニワ」という作品。白の馬と暗い朱のハニワ、バックの紺と三色の構成になってるのですが、多分これ単色で見たら黄味がかった白でありながら、しっかりと白に見えるのは、紺のせい?朱のせい?そういう白に青っぽい色を近づけたら黄色が強調されると思ってたからなんか意外な感じもあり。普通に白なんでしょうか。
 
とにかく久しぶりに来れて良かったです。長居しすぎて、その後に行くつもりだった円蔵寺は門が閉まって入れず。けど天気も良く、只見川は碧く、気持ち良い散策になりましたとさ。
 
たとえ1秒だとしても過去に戻るなんてことはできないということは当たり前なんだけど、一生のうち一度だって、縄文人がはにわ作ってるところなんて見れないかと思うと悔しい。そういう気持ちが湧いてきます。
 
6/13 加筆修正