斎藤清美術館「大コレクション展」3

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。その感想の3回目です。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第3期のテーマ【会津人にして、異郷人】

 

(6)会津(ふるさと)へのまなざし

稔りの会津(10) 1988

柿の会津(28)(と、それらのスケッチ) 1977

柿の会津(22) 1977

冬の鶴ヶ城 会津若松 1967

秋の只見川 下椿(A) 1997

会津の冬(96)三島町間方  1992 墨絵

会津の冬(99)若松上三寄  1992

 

会津がテーマになっている会であり、作品の年代は晩年のものが多い。それだけに、比較的表現方法がある程度揃った展示になっているように感じる。だからこそ、そこから外れた(表現が安定する前、とも言えるかも)の作品には目が止まるし、前回までの展示の中に僕が感じた「洗練の秘密」への手がかりは、そこにありそうな気もする。

 

例えば『冬の鶴ヶ城 会津若松 1967』。これは本展示においても、結構異質な雰囲気を持っていると思う。年代を見ても数少ない60年代の作品。モノクロで鶴ヶ城を描いたものだけれど、なんとなく、稚拙な印象を受けた。その理由を、とりあえず思うままに書くと、明瞭でない線、というのがあるのかなと思う。物体に輪郭線があるわけではないのだけれど、構図の中の物と物の区切り(これは、物体と背景であっても同じように言える)が、ちょっと曖昧なことが、理由としてあるのではないかと感じた。

 

つまり、逆に言えば、前回の感想として僕が残している「直線的なもの=洗練」というのは少し違っているということも意味しているのかもしれない。大事なことは、物と物の区切り方なのであって、その形それ自体は、実はそこまで印象に影響を与えていないのかもしれない、ということだ。

 

会津シリーズにおいて、とりわけ直線表現が多いことは特徴として見出せない。つまり直線であること、曲線であることは、作品の洗練度に影響していないように思われる。色の切り替えがパキッとしていること。これが大切なのかもしれない。

 

『柿の会津(28)(と、それらのスケッチ) 1977』をはじめ、スケッチ→版画の比較が多く見られた。スケッチにはスケッチの、版画にすることで抜け落ちる何かがあることを感じさせる。どことなくかしこまり、クリーンな印象になる(=洗練)。そこで起きているのが、「色の切り替わりの明瞭化」なのではないか。

 

話題は変わって、色について好きなものをいくつか。

『柿の会津(22) 1977』これは、迷彩状の倉の壁面が好き。

『秋の只見川 下椿(A) 1997』山は、黒のようで実は茶色。黄土色の草と山の、穏やかな色の組み合わせがとてもよい。1997年の作品ということなので、最晩年と思われる。鮮やかな赤や黄色の木々も美しい。しかし同時に晩秋の寂しさをも思い起こさせる。そんな2面性が、この画面の中にあるような気がする。

 

冬シリーズは墨絵もよいなと思う。濃淡は光の加減を掴みやすいのか、ぼかしを用いることでとたんに立体感や写実性が生まれる。『会津の冬(96)三島町間方  1992 墨絵』この作品は、山の表現が他ではあまり見られないもので、ちょっと不思議な感じ。この方向性で何か新しいものを見ることができた可能性をちょっと考えた。

 

 

(7)会津人への想い

会津の冬 御母堂 1940

winter in Aizu  1967

会津の冬(106) 野沢 1994

スケッチ「会津のこどもたち」 1939-1951

蔵の会津(G) 1978

稔りの会津(2) 1975

稔りの会津(12) 1990

会津の春  1974

 

会津がテーマの2回目。冬、稔り、さつき…などなどのシリーズになっているものが、20年とか、こんなにも長いスパンで制作され続けていたものだったのだなということに改めて気づかされ、驚いた。展示も見やすかった。

 

その中で今回思ったことは、斎藤清は時代を経るにつれて、強い色を使わなくなっているということ。特に黒。一見、真っ黒に見える面でも、実はモヤのようなムラ感を与えていたり、木目を生かす画面にしている。(『会津の春  1974

』)色彩についても同じことが言えると思う。色の上にグレーのモヤレイヤーを重ねるなどして、全体の調和をとろうとする試みのようなものを感じる。ただ、色数については、70年代に増え、さらに90年代にはもっと増えているように思うし、そのモヤをかけない明るい色彩を加えることで、画面には新鮮さが加えられている感じがする。

 

今回の展示はスケッチも多いのだが、それがまたとてもよい。こどもたちを描いたものだが、特にいろりを囲む3人のこどもを描いた作品は、なんだか胸にせまるような、優しさに溢れている。これらのスケッチを基にして作られたと思われる版画作品も同時に見ることができた。ただ、版画になると、スケッチほどの魅力がないような、正直な感想を言ってしまうとそんな印象。スケッチの時に思うシルエットの面白さや、あるいはシルエットへの愛おしさのようなものがないのだ。これは前回の展示の時にも同じような感想を残しているが、荒いスケッチから、それを丁寧に仕上げる時に失われる何かが、確かにあるのだということを思わせる。

 

展示された作品の年代は多岐にわたる。その中で思ったことは、実は70年代後半からのちには、その中に作風上の大きな違いってないのではないか、ということだ。『稔りの会津(2) 1975』と『稔りの会津(12) 1990』の2つの作品を見比べた時、色味やグラデーションなど、特徴的なものはほとんど出揃っているように思う。でももちろん、何かが違う。

 

対象の描き方、捉え方なのだろうか。『蔵の会津(G) 1978』に特徴的であるが、この作品には背景は何もない。これは70年代から80年代に出てくる作風と言っていいものだと思うんだけど、このような「テーマだけを描く」という手法を経て、それを風景全体で捉えた時にも中心をはっきりと理解させる、フォーカルポイントとなる何かを作り出すことが意識された、と言えたりするだろうか。より整理された構図を獲得した。そういうこと?

 

以上、第3期の感想でした。

 

第3期はの第8回にも渡っていますが、思いの外長くなったので、中途半端になりますが分けることにしました。会を見るたびに何かと文章やら気になった作品の数やらが増えてきて、冗長な感じになっている気もしますが、まあよしとします。

 

会津がテーマとなると、やはり会津に生まれた人間であるからか、これまでに何かと見る機会がある作品の展示が多いと思いました。会津の作品は数も多いし、しかも晩年に作られたものが中心になるので、自分が生きてきた会津の姿というものとの隔たりが小さくて(それでももちろん失われたもの、変わりつつあるものがほとんどかも知れないけど)、そのあたりも僕ら鑑賞者にとって、この作品を身近に感じる理由なのでしょう。

 

ありがとうございました。