青森旅行の記録(1)青春18切符で福島–青森

青森へ一人旅してきた。

 

本当に実現するか自分でも怪しんでいた計画だったけど、その備忘録として、振り返りたいと思います。

 

今回、青春18切符を使って会津若松から青森まで行き、帰りは新幹線で帰ってくるという計画を立てていた。計画段階では、行けそうじゃない?と気楽だったけど、いざ青春18切符の販売開始期間になって具体的なことを調べていくと、いろいろと気になってくる。

 

行きだけで14時間ほどかかる。4時間でも長い。10時間もなかなか。それが二つ合わさって14時間。ちょっとさすがにやりすぎかなと思ったりもした。いろいろ悩んだけど、結局やってみた感想としては、素直に楽しかった。僕はもともと高速バスとかも平気な質なので、乗り継ぎの長い待ち時間には駅の外に出て歩き回れることを思えば、割と大丈夫だった。

ただ、途中の駅で特急に乗れるタイミングに出くわしたりすると、別料金だったとしてもこれに乗るのもいいかなあと思ったりしたのは確か。

 

ここから具体的に。

1日目に乗った駅は【会津若松〜新津〜新発田〜村上〜酒田〜秋田〜弘前】。

 

会津若松6:48発:新津9:27着の電車に乗り込む。始発はもっと早いのがあったが、新津から出る電車は変わりなく、ただ待ち時間が長くなるだけだったのでこの時間にした。それでも約1時間の待ち時間。調べてみると新津には結構気になる場所が多く、例えば【北方文化博物館】とか【県立植物園】とか。ただどちらも駅からやや遠かったので、今回は諦めた。県立植物園は実は一度いったことがあるが、3月にはチューリップの展示が行われてるらしく、かなり気になっている。

 

時間は10時少し前だったので、駅から徒歩10分かからないくらいの【珈琲倶楽部 新津店】で朝食。新津店とあるので、新潟県内か、このあたりでは何店舗かあるらしい。新潟版コメダみたいな感じかなと思った。モーニング580円だったかな?くらいで、おいしいし結構量もあり、感じの良い店員さんがテキパキと接客してくださってよかった。考えてみると平日の朝の時間だけどご近所の方か、すでに何組かいらっしゃって、結構愛されてるお店なんだなーとぼんやり。1時間の待ち時間はそこまで苦にならない。

 

新津10:38発:新発田11:08着の電車に乗る。新発田駅では待ち時間がそこまでなかったので、そのまま駅で待つ。新発田11:25発:村上12:04着へ。この待ち時間の間だったと思うが、特急いなほ号が過ぎていった。青春18切符では乗ることはできないが、プラス4000円くらい追加すれば、ここで一気に時間を短縮することもできる。今回は何も考えていなかったので、そのまま鈍行の旅を続けた。

 

村上駅に到着。ここの待ち時間が工程の中で1番長く、約1時間半くらい。時間がお昼時だったということもあり、20分くらい歩いて村上市街地?に行く。村上と言えば、駅の改札口にもかけられていたが塩引き鮭が有名である。焼き鮭は好きなので是非とも食べておきたいと思って、なんとなくだけどここは事前に調べておいた。【海鮮一鰭】を目指す。道を歩いて行くと、やはり地図を見ているだけとは随分違った印象を受ける。途中、懐かしいの【薬のコダマ】の天使の看板を見かけて嬉しくなった。大体が他のドラッグストアに取って代わられている。Abubuと書かれたあのティッシュペーパーが懐かしい。

商店街は建て替えなどが行われたのか綺麗な通りだった。途中、和菓子屋さんとか工芸品のお店などもあって気になったけど、時間が決まっているといち早く駅で安心していたいこともあって、あまり寄り道はしなかった。【海鮮一鰭】は、店内の奥の方に本棚がずらっと並んでいたり、カフェのような、でも大衆的な食堂のような、今思い返すとちょっと不思議な店内だったような気がする。ただ入った瞬間から、「あ、いい人な気がする」という感じの方に席を通され、焼き鮭と刺身の盛り合わせの定食をお願いした。はらこ飯もおそらく名物であるけど、それまで頭になかったので初志貫徹?で焼き鮭。お店はすでに結構人が入っていて、観光というよりはこのあたりで仕事をしている人らしい方が多かったような?割合出てくるのも早くてありがたかった。厚みのある焼き鮭で、しっかりと塩引きだなあという感じで、ご飯がすすむ。刺身も5種類くらいありどれも美味しい。ちょっと何か分からない(聞くこともしない)白味魚が、結構こってりとしていて特に美味しかった。副菜みたいな感じで魚卵と野菜を合わせたものがあり、プチプチというかファサファサというか、新鮮な食感で美味しかった。

食事を終えてお会計の時、僕の荒れた指に気づいたお店の方が「絆創膏いる?絆創膏いくらでもあるから…」と言ってくださった。恥ずかしさと申し訳なさで、いえ大丈夫です!とそそくさとお店を出てしまう。この時期に水を使う仕事をするとすぐ指が割れるし、爪の隙間についた汚れはなかなか落ちず、それが一見血のようにも見える場合もあって、驚かせてしまった。給仕の方は二人でなんとも安心感のあるペアで、しかもこんな気遣いをされて、めちゃいいお店だなと思った。

 

13:43村上発:16:16酒田着の電車へ。これまではまだ新潟県。ここから山形県に入る。新潟は長いなと改めて思う。山形県内では長い待ち時間を取る停車駅がないため、今回は街に出ることはできなかった。酒田の街も良さそうだからいつか行って見たい。鶴岡に近くなると鳥海山(たぶん)と月山(たぶん)が両側に見えてくる。とても大きな存在感のある山を二つも眺める場所になっている。乗り換えこそないものの、鶴岡では30分ほど停車することになっていたので、ここで外にでてもよかったと思うが、うっかりそのまま車内に居座ってしまった。

 

鶴岡駅のあたりで、線路は一度内陸に入って行くが、酒田に向けて再び日本海沿いを走る列車となる。海沿いには瓦屋根の民家が並ぶ地域もあり、屋根の調子が揃っていると、集落はこんなにも綺麗に見えるのだなと思う。線路と民家の境界がとてもあやふやな地続きになっていて少し心配になるが、おおらかな印象でもあって、それもまたいい。ごつごつとした岩がちな海岸線が見えると、おおっと気分が変わる。

 

酒田について16分ほどの待ち時間で、18:23秋田着の電車へ。このころには外は暗くなってくる。

 

秋田駅は1時間ほど待ち時間があったため、外に出て歩いてみる。改札を出ると赤と青の巨大ななまはげの仮面が出迎えてくれる。また、いたるところに秋田犬の写真。なまはげと秋田犬という強力なキャラクターを擁する秋田は強い。これは昔行った秋田料理のお店で見かけた秋田PRポスターでの印象だが、秋田のポスターがまた素晴らしくいい。今は変わっているかもしれないが、秋田犬を主役として、秋田の様々な名所や、なまはげなどのその他の名物を掛け合わせたもので、愛らしさや神々しさすら感じられ、それでいて洒落た雰囲気で本当に好き。駅の中には、秋田犬がひたすらかわいいだけの映像が流れているテレビがあって癒された。ここで立ち食いそばを食べようか悩んだが、迷っているうちに少し混んできたようだったのでやめておく。何気なく土産物売り場をみると、いぶりがっこ!そうだ、秋田にはいぶりがっこがある!お土産に少し買う。

 

秋田19:27発:弘前21:38着の電車。ここからついに今日の最終目的地である弘前へ向かう。

今回は内陸を通るルートだが、日本海側を走って弘前までつなぐ五能線は観光列車も走る路線として人気が高いそうで、これも季節が良い時に乗って見たいものだ。

この電車に乗ったあたりから、なんとなく、聞こえてくる言葉のイントネーションが変わってきたような気がする。すでに時間が夜に近づき、学校や会社帰りの方が多くなってきたこともあるだろう。僕にはすごく優しく聞こえるあの抑揚の大きな話し方は、とても魅力的だ。初めこそ結構乗っていた人は徐々に降りていき、弘前まで行く人はあまりいないようだ。途中の駅の大鰐温泉というがとても気になった。後から調べてみると、駅の近くには夜22時まで入れる日帰り温泉施設があるようで、これは組み込んでもよかったなと思った。今回はどこにも温泉にはいることができなかったから、ちょっと悔しいところではある。

 

定刻通り21:38弘前着。長かった!

雪が少ない今年ではあるけれど、青森はさすがに歩道が露出しているということがなく、普通のスニーカーはちょっと場違いな感じがした。シャーベット状になっていたり、凍結していたり、気をつけて歩く。宿泊は駅前の東横イン。本当は二日とも青森の予定だったが、二日目は弘前観光のつもりだったし、近い距離とも言えないので宿は急遽変更しておいた。これはそうしておいてよかった。久しぶりの外泊ということもあって、いろいろと勝手が変わっている。アメニティは部屋に設置されておらず、ロビーから各自必要なものを持っていくスタイルとなっている。晩御飯に何を食べていいかわからず、ぶらぶらと弘前の街を歩きながらマクドナルドへ向かう。なんとなく、徒歩で夜のマクドナルドに向かうのが変な感じ。大きな街だなというのが率直な印象。会津若松と同じように城下町で、歴史の街という雰囲気から同じような規模感を想像していたが、弘前の方が発展している感じがある。ちなみに人口は弘前17万人・会津若松11万人とのことだから、なるほど。

斎藤清美術館「大コレクション展」4

会は無事終了し、最後まで観覧することができました。

以下、過去と同様の感想文となります。

 

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。その感想の4回目です。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第3期のテーマ【会津人にして、異郷人】

(8)会津の冬 イメージの変化が語るもの

会津の冬 中野 1970頃 墨絵

会津の冬 早春(柳津町) 1985  墨絵

会津の冬 (65) 宮下 1986

会津の冬 (88)三島町 間方 1991

会津の冬 (94)八坂町 1992

 

会津の冬シリーズに絞った展示。壮観とも言うような雪景色の作品の数々、その並びを見るだけでも、清のこのテーマへの思い入れを感じるような気がする。有名どころが並び、墨絵ゾーンへ。その中でも技法上の試行錯誤が見て取れる。

 

会津の冬 中野】は重い墨に沈んでいくようなグラデーションが特徴的で、好きかと言われると「?」なんだけれど、その黒さは、遠くで耳鳴りがするような静けさを醸し出しているような気がした。冬の暗さはこういうものだよなと。

 

会津の冬 早春(柳津町)】は対照的に霞のような白ベースの作品で、見ていて目に優しい。白と言ったが、紙の色なのか、ややベージュの色味。そして実はそのベージュっぽい色味こそが、ちょっと垢抜けた印象をこの作品に与えているかもしれない。他の作品と比較してみると、そんなことを思う。【会津の冬 (65) 宮下】【会津の冬 (88)三島町 間方】はまさにそんな感じで、ここでは本来、黒やグレーであるところに、黄味がかったグレーの色を使っている。そして、部分的に穏やかな黒。このバランスが、なんとなくよい雰囲気を出しているように思う。和紙の色を活かすということについて、以前の展示かなにかで説明がなされていたと思うが覚えていないので、また知りたい。この黄味、黄土色の存在感は、墨絵を通して「インクと地」の極端な制約に身を置いたからこそ、発見された効果と言うと言い過ぎだろうか。もちろん、版画以前にそういった作例があるかもしれないし、調べが必要なことではある。

 

会津の冬 (94)八坂町 1992】は晩年の作。優しい色合いに穏やかな赤と青が安心する風景。別段、風光明媚だとか、特徴的な風景のようには思われない道路標識のある景色。私が幼い頃、祖父母が住む只見に行く道中には、普段見かけない道路標識があることで、その土地に近づいているということを実感していたことを思い出す。なんでもないようだけど、本当はそういう些細な風景が、その場所のイメージを作り出している。そんなことを思った。

展示解説においても、「有名どころは少ない」と紹介される、テーマの場所の選択であるけれど、それぞれの景色は清にとって特別な「あの場所」を連想するモチーフ(構図)だったのだろう。

 

第4期のテーマ【昇華するテーマ、不断の画業】

(9)Tenderness 慈愛

慈愛(H)(I)(J)1983

炎 1961

弥勒菩薩 1950

仏陀 弥勒 1957

ハニワ(1)(2)(3) 1952

ハニワ 1952

秋 会津柳津 福島 1965

 

仏さま、ハニワがメインの展示。作品の年代としては50-70年のものが多いだろうか。

 

1番いいなと思ったのが、【慈愛(H)(I)(J)】の3作品。サイズ感といい、色といい、部屋に置きたいと思ってしまった(無理)。背景の木目の黒、真ん中にはお地蔵様がででーんと描かれる。3つとも表情がそれぞれなのが愛らしい。愛らしさがありつつ、どこか締まっている。どこか深遠なものを感じさせる。これがやはり黒の効果なんだろうか。

 

反対に【炎】はあまり好みではなかった作品。もののシルエットや造形を、すごく洗練した描き方でまとめる人だという印象があるのに、これはなんだか??炎のメラメラという形がどこか幼稚な感じ。ベージュ・朱・黒と、色のまとめ方が変だとは思わないのだけど、なんだろうか。

 

今回展示されている50年代の作品を見ていると、色の組み合わせや構成を見ていて楽しいのは50年代だなあと思う。以前の展示でもハニワの色味が好きだと、ここで書いたけれど、今回も【ハニワ(1)(2)(3)】は好き。ベージュを中心とした色の調和や、色が美しく見える組み合わせというものが意識されているような気がする。素人目には。

 

弥勒菩薩】【仏陀 弥勒】の作品には、後に完成されていく技法の、途中経過のようなものがあるような気がした。黒の単色で、仏様が刷られている。ハンコを押したようなイメージ。すると当然、黒が抜かれている部分には、背景の色が見える。今回の作品では、地が木目調になっていた。無地に押されたスタンプと、木目など、すでにニュアンスを持っている地に押されたスタンプとでは、ちょっと印象が違ってくる。こういうシンプルな作品て、案外ないような気がして逆に新鮮だったし、しかし同時に、面の切り替えを多彩なマチエールで表現する清の作風につながるものがあるような印象もある。

 

マチエールといえば清が意識がしたことだと思うが、【ハニワ】はとても目を惹いた。これは他のものを作風がかなり違っているように思った。清としてはよくなかったんだろうか。個人的には、おもしろいし、すごいと思ったし、もし他には同様な作品があるのならば見てみたい。写実と平坦とが、マチエールの切り替えによって表現されていて、ある種のだまし絵のような雰囲気すらある。掴み所のないような朱色も効果的。一見すると真っ黒のように見える背景が実は濃い緑と濃い紫のツートン。これが朱を引き立てているのだろうか。なんとも、不思議な魅力のある作品だと思った。

 

【秋 会津柳津 福島】の作品は、描かれている和尚さんの形が好き。サグラダ・ファミリアの中にすごく好きな彫刻があるのだが、そのゆるやかな輪郭線や、はっきりとした面の切り替えのある形なのか、ちょっと似たところがあるなと。

斎藤清美術館「大コレクション展」3

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。その感想の3回目です。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第3期のテーマ【会津人にして、異郷人】

 

(6)会津(ふるさと)へのまなざし

稔りの会津(10) 1988

柿の会津(28)(と、それらのスケッチ) 1977

柿の会津(22) 1977

冬の鶴ヶ城 会津若松 1967

秋の只見川 下椿(A) 1997

会津の冬(96)三島町間方  1992 墨絵

会津の冬(99)若松上三寄  1992

 

会津がテーマになっている会であり、作品の年代は晩年のものが多い。それだけに、比較的表現方法がある程度揃った展示になっているように感じる。だからこそ、そこから外れた(表現が安定する前、とも言えるかも)の作品には目が止まるし、前回までの展示の中に僕が感じた「洗練の秘密」への手がかりは、そこにありそうな気もする。

 

例えば『冬の鶴ヶ城 会津若松 1967』。これは本展示においても、結構異質な雰囲気を持っていると思う。年代を見ても数少ない60年代の作品。モノクロで鶴ヶ城を描いたものだけれど、なんとなく、稚拙な印象を受けた。その理由を、とりあえず思うままに書くと、明瞭でない線、というのがあるのかなと思う。物体に輪郭線があるわけではないのだけれど、構図の中の物と物の区切り(これは、物体と背景であっても同じように言える)が、ちょっと曖昧なことが、理由としてあるのではないかと感じた。

 

つまり、逆に言えば、前回の感想として僕が残している「直線的なもの=洗練」というのは少し違っているということも意味しているのかもしれない。大事なことは、物と物の区切り方なのであって、その形それ自体は、実はそこまで印象に影響を与えていないのかもしれない、ということだ。

 

会津シリーズにおいて、とりわけ直線表現が多いことは特徴として見出せない。つまり直線であること、曲線であることは、作品の洗練度に影響していないように思われる。色の切り替えがパキッとしていること。これが大切なのかもしれない。

 

『柿の会津(28)(と、それらのスケッチ) 1977』をはじめ、スケッチ→版画の比較が多く見られた。スケッチにはスケッチの、版画にすることで抜け落ちる何かがあることを感じさせる。どことなくかしこまり、クリーンな印象になる(=洗練)。そこで起きているのが、「色の切り替わりの明瞭化」なのではないか。

 

話題は変わって、色について好きなものをいくつか。

『柿の会津(22) 1977』これは、迷彩状の倉の壁面が好き。

『秋の只見川 下椿(A) 1997』山は、黒のようで実は茶色。黄土色の草と山の、穏やかな色の組み合わせがとてもよい。1997年の作品ということなので、最晩年と思われる。鮮やかな赤や黄色の木々も美しい。しかし同時に晩秋の寂しさをも思い起こさせる。そんな2面性が、この画面の中にあるような気がする。

 

冬シリーズは墨絵もよいなと思う。濃淡は光の加減を掴みやすいのか、ぼかしを用いることでとたんに立体感や写実性が生まれる。『会津の冬(96)三島町間方  1992 墨絵』この作品は、山の表現が他ではあまり見られないもので、ちょっと不思議な感じ。この方向性で何か新しいものを見ることができた可能性をちょっと考えた。

 

 

(7)会津人への想い

会津の冬 御母堂 1940

winter in Aizu  1967

会津の冬(106) 野沢 1994

スケッチ「会津のこどもたち」 1939-1951

蔵の会津(G) 1978

稔りの会津(2) 1975

稔りの会津(12) 1990

会津の春  1974

 

会津がテーマの2回目。冬、稔り、さつき…などなどのシリーズになっているものが、20年とか、こんなにも長いスパンで制作され続けていたものだったのだなということに改めて気づかされ、驚いた。展示も見やすかった。

 

その中で今回思ったことは、斎藤清は時代を経るにつれて、強い色を使わなくなっているということ。特に黒。一見、真っ黒に見える面でも、実はモヤのようなムラ感を与えていたり、木目を生かす画面にしている。(『会津の春  1974

』)色彩についても同じことが言えると思う。色の上にグレーのモヤレイヤーを重ねるなどして、全体の調和をとろうとする試みのようなものを感じる。ただ、色数については、70年代に増え、さらに90年代にはもっと増えているように思うし、そのモヤをかけない明るい色彩を加えることで、画面には新鮮さが加えられている感じがする。

 

今回の展示はスケッチも多いのだが、それがまたとてもよい。こどもたちを描いたものだが、特にいろりを囲む3人のこどもを描いた作品は、なんだか胸にせまるような、優しさに溢れている。これらのスケッチを基にして作られたと思われる版画作品も同時に見ることができた。ただ、版画になると、スケッチほどの魅力がないような、正直な感想を言ってしまうとそんな印象。スケッチの時に思うシルエットの面白さや、あるいはシルエットへの愛おしさのようなものがないのだ。これは前回の展示の時にも同じような感想を残しているが、荒いスケッチから、それを丁寧に仕上げる時に失われる何かが、確かにあるのだということを思わせる。

 

展示された作品の年代は多岐にわたる。その中で思ったことは、実は70年代後半からのちには、その中に作風上の大きな違いってないのではないか、ということだ。『稔りの会津(2) 1975』と『稔りの会津(12) 1990』の2つの作品を見比べた時、色味やグラデーションなど、特徴的なものはほとんど出揃っているように思う。でももちろん、何かが違う。

 

対象の描き方、捉え方なのだろうか。『蔵の会津(G) 1978』に特徴的であるが、この作品には背景は何もない。これは70年代から80年代に出てくる作風と言っていいものだと思うんだけど、このような「テーマだけを描く」という手法を経て、それを風景全体で捉えた時にも中心をはっきりと理解させる、フォーカルポイントとなる何かを作り出すことが意識された、と言えたりするだろうか。より整理された構図を獲得した。そういうこと?

 

以上、第3期の感想でした。

 

第3期はの第8回にも渡っていますが、思いの外長くなったので、中途半端になりますが分けることにしました。会を見るたびに何かと文章やら気になった作品の数やらが増えてきて、冗長な感じになっている気もしますが、まあよしとします。

 

会津がテーマとなると、やはり会津に生まれた人間であるからか、これまでに何かと見る機会がある作品の展示が多いと思いました。会津の作品は数も多いし、しかも晩年に作られたものが中心になるので、自分が生きてきた会津の姿というものとの隔たりが小さくて(それでももちろん失われたもの、変わりつつあるものがほとんどかも知れないけど)、そのあたりも僕ら鑑賞者にとって、この作品を身近に感じる理由なのでしょう。

 

ありがとうございました。

斎藤清美術館「大コレクション展」2

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。その感想の2回目です。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第2期のテーマ【旅する画家】

 

(4)来て、見て、描いた 世界編

パリ(3) 1961

グリニッジビレッジ 1962

印度(C) 1968

 

「その国はどんな国であったのか」というよりも「その国をどう見たのか」その見方に正しいも何もない。そんなことを感じた。

 

メキシコ・フランス・アメリカ・ハワイ・タヒチ・印度・韓国をモチーフとした作品それぞれが持つ個性やイメージは、大きく異なっている。その違いは、斎藤清の個人的な心象の表れ以外の何者でもない。1956年のメキシコの作品は、厚ぼったいインクと、原色というか強い色彩は、暑さを思わせるものがある。1959年のフランスは冬であったのか、何かメキシコのそれとは全く違う。そして、何か表現上のターニングポイントがあるようにも思う。インドは全体的に怖いし、韓国に至ってはそのモチーフの版画がない?らしい。

 

『パリ(3)』の作品には、それまであまり使われないような、曖昧な緑と紫が使われている。インクの厚さについても変わっていて、厚く残すような箇所は全体には使用されず、ポイントで使うに止められているものが増えたような気がする。フランスの空気感と、それまでの手法のミスマッチのようなものを感じたのだろうか。コラグラフという新しい技法を学んだのは1962年。再びフランスのモチーフに戻って制作しているものも多いようであるが、これはつまり、斎藤清が自身の中で、「何か表現しきれていない」というもやもやがあったからではないだろうか。

 

今回の展示では、基本的にある短期間に作られた作品やスケッチが多く、(旅行というイベントに絞っているので自然とそうなるのだが)、だからこそ、テーマごとの表現がおおよそ統一されており、「この時の斎藤清はこうだったのだ」というものを感じることができたように思う。そしてそれは、作家をより身近に感じることができる感覚のような気もする。

 

フランス旅行に限ったことではないと思うが、過去のあるときに得られたインスピレーション(スケッチなど)は、その後再び持ち出され、創作されるということも、作品を通じて見ることができて良かった。技術を積み重ね、新しく得られた何かで、過去に取りこぼしたものに挑戦していく。そんな姿勢を見ることができた。

 

(5)来て、見て、描いた 日本編

霊峰(12)秋(C)1980

冬の日光(法華堂)1969 墨絵・版画

奈良(B)1962

門 法隆寺 1974

石手寺 松山 1984

模様の街 大洲市 1985

 

まず『霊峰(12)秋(C)』がすごく好き。色彩の調和っていうのか、よくわからないけどいいなあと。全体に黄色がかった茶や緑の色使い。鮮やかでないけれど、その少しの緑が活きていて、なんというか、新鮮さを感じる。

 

会全体の印象としては、60年代のものが多い印象。『冬の日光(法華堂)』は、同一のモチーフを墨絵と版画ということなる手法で作品としているだけに、表現方法の違いがそう作品のイメージに影響するかをよく伝えてくれる。この日は学芸員さんの説明を受けながら観覧していたのだが、曰く、斎藤は墨絵でしかできないことと、版画における表現のギャップに葛藤していた、という。確かに。けれど、それでも版画の表現にこだわり、しかもその墨絵特有の表現は、晩年の「影」に現れているようにも思われて、追求したものの達成を感じるようなところもある。

 

個人的に奈良は好きなので、奈良をモチーフにした作品が多く見られたのも嬉しい。『奈良(B)』の作品の中には、輪郭線をしっかりと強調するような表現が見られる。(実際には柱だったりして、輪郭線だとも限らないのだが)僕はそこに、なんとなく野暮ったさを感じてしまう。(うまく言えないのだが、土臭い感じ、土着的というか…)この作品の場合、特にそうなのは、輪郭線があるものとないものが、画面の中に共存しているからかもしれない。それに比べると『石手寺 松山』はだいぶ洗練されている感じがする。すっきりしている。この作品に特徴的なのは、建造物を中心に持って来ていることによる、直線の存在があると思う。それまでは、建造物といえども歪ませていたり、なだらかな形をしているものが多かったと思う。直線的なもの。これは、洗練されていると思うことのひとつの要素なのかも。

 

全体を通して、単一でない刷り(いわゆるモヤモヤ)は、見え方は違えど、どの年代にも一貫してみられるものだと気付いた。この、主張しないけれども、ひとつの面に複雑性を持たせるモヤモヤ。これは刷る時の力加減なんだろうか。それとも、コラグラとか、そういうものによるモヤモヤのためのレイヤーがあるのだろうか。

 

 

以上、第2期の感想でした。

 

まとめて見て気付いたのですが、第2期は小テーマが二つでした。前回の投稿で間違ったことを書いてしまいました。

 

旅がテーマになっている第2期。フランスという国が斎藤清に与えた影響は特に大きかったのだろうなと、感想を書き起こしていて改めて感じました。

昔読んだ本の一節で、なんとなく思い出すものがあったので、その引用を少し。

 

「なんだか、想像していた巴里と違うみたいで……とても冷酷な街ですねえ」

「そりゃあ」向井は建築家らしいものの言い方をした。

「この巴里の家も道も教会も石の集積だし、その石に一つ一つの歴史の重みがあるからじゃないかな。ながいながい間の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。」

遠藤周作『留学』第3章 爾も。また  より)

 

ありがとうございました。

斎藤清美術館「大コレクション展」1

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。作品全体がおおまかに4つのテーマに分けられ、その中から更に3回の展示替えが行われます。つまり、毎月違う展示が見られる、という企画展なんです。

 

そしてもちろん、ここぞとばかりに通っております。

 

毎回それなりの感想を書き残してはいたのだけど、手帳に細々と書いていただけだったので、見直しもかねて、この場所に残しておこうと思い立ちました。シーズンごとにまとめて書こうと思います。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第1期のテーマ【追求し続けた、構図と形(フォルム)】

 

(1)「究極の単純化」を求めて

凝視b 1956

凝視 猫 1948

凝視 猫 1986

 

これらの3作品は、ほとんど構図が変わらない。色彩も大雑把にいえば同じ。しかし作品が作られた年代は、30年も違っている。一見したところ同じようだけど、それでいて後に作られた作品の洗練された感じはなんだろう。刷りの技術によるものなのか。ランダムな背景の模様のひとつひとつにさえ、気が配られているような気すらする1986の作品。輪郭線がきれい。

 

(2)「もやもや線」の発見

ショップガール カルダン パリ 1960

尼僧  1962

ねこ 1973

椿 1945?

 

油絵→コラグラフ、という技法上の興味の変遷を感じることができた。コラグラフがどんなものかよくわからないながら、漆の技法でいう錆絵に似たところがあるのではないかと思っている。『椿』を見てみると、斎藤清が油絵の中に、「盛り上がり、造形されていく楽しさ」みたいなものを見出しているように思う。それがコラグラフに繋がっている。

 

60年代に没頭したコラグラフの作品群を見ていると、暗くてカオスなイメージが湧いてくる。その中に現れる無地の白(ショップガールの手や眼など)のとてもクリーンで、洗練された印象は、きっとコラグラフが作るおどろおどろしさとの対比が生むのだろう。

 

やがて素材感の強調は木目にも現れる。『ねこ』の木目感と無地の取り合わせは、黄色っぽい色味の統一感もあってかすごく好み。猫の悪い?表情もよい。

 

素材感というものが、色や形という要素と同列に語られるべきものだということを改めて気づかされた。

 

 

(3)そして、影が生まれた

春の鎌倉 長勝寺 1984

目(3)(4)?

目(6)(7)?

会津の秋(B)1969

裏磐梯 会津 1955

赤い実(A)1975

 

影→グラデーション。

晩年の斎藤清の作品に特徴的なグラデーション表現には、もとになる「影」の追求があった。技法的にコラグラフへ興味を強めていた60年代の作品には影の表現・テーマも多い。

 

50年代の裏磐梯の作品には、シンプルな色彩構成の印象を受けつつも、油絵風のこってりとしたインクの厚み、重みを感じさせる。この刷り面の、なんというか、ザラ感というのは、以降の作品に続く素材感(いわゆるマチエール)への関心の表れの初期なのかもしれない。そして、コラグラフを経て再び裏磐梯のモチーフ。そこでは素材感のさらなる試みと、影を持たせることで生まれる雰囲気(美術館の解説でよく出てくる「精神性」と呼ぶものだと思う)が表れていると思う。

 

これは常に思うことだが、50年代の作品の中には、以降の作品にはない荒さというか、粗雑さがあるように思えてしまうものがある。そしてそれはとても不思議だ。というのは、構図としてはシンプルである方が洗練されて見えそうなものなのに、そうではないからだ。晩年になるにつれ、作品はどんどん洗練されていく。しかし決して、構成要素がどんどん単純化され、シンプルになっていくわけではない。この「洗練」はどこからでてくるものなのだろう。

 

 

以上、第1期の感想でした。

 

初回を経て、観覧を進めるごとに感想がやたらと長くなっておりました。改めて読んでみると、自分で書いたことながら、自分の興味がどんなところにあるのか、ということがはっきりしてくるような気がします。僕は、斎藤清の作品の中に感じる「洗練」の秘密を知りたいようです…。毎回書いているとは思いませんでした。

作品の評価については自分が勝手に言っているだけのことなので、一般的な評価や他の方の意見なども聞ける機会があればいいなと思っていますが…。

 

ありがとうございました。

アートビオトープ那須に行ってきた

珍しく那須に行ってきた。僕はあまり知らない場所だけど、詳しい友人がいろいろ教えてくれるので、それでなんとなく、春に那須に行くのが恒例になっている。今回もその友人が教えてくれたいくつかの場所に行ってきた。今回は、アートビオトープ那須のなかにある【水庭】について、なにか書きたいと思ったので、久しぶりに書こうと思います。結構よかったので。那須はなんだか素敵スペースが多い。

 

あんまり調べもせずにいたし、写真だけみて、なんとなくおしゃれなところだなってぐらいのイメージしかしてなかったんだけど、湿地帯(であろう場所)に広葉樹があるというのは明らかに不自然な景観。それをそれと思わせずにしれっと存在しているけれど、考えてみればとてもおかしなものなのだ。そして、その水庭を目の前にして、自分が無意識に「そういうものがある」と、自分の理論で存在を肯定していたことを、覆されたような気がして、はっとする。その場所に行くまでにはいろいろ気にしていたこともあった。この時期では葉も生えていないだろうなとか、だからちょっと寂しい感じだろうか、とか。けれども、全然そんなこともなかった。木の枝が伸びる形の面白さは、人工的な木々の配置によって余計に際立って見えた。それにこの日は快晴で、風も穏やかに吹く、気持ちの良い場所だった。

 

そして鴨がいた。鴨の存在が、僕にとってこの水庭の印象を強くした。

鴨は、僕たちが近づくとそれとなく離れていく。人馴れしていない。遠くから、鴨の様子を見ていた。この水庭には大小様々な、いわば水たまりがある。鴨はそんなとき、水たまりと水たまりの間は、歩いて移動した。そして、ある水たまりを飛び越えて、向こうの水たまりに行くということはしないのだった。ときおり水のなかに顔を入れたりしながら、地面ではしきりに何かをついばみながら、鴨は僕らから、できるだけ離れていくように、水たまりに入り、ペタペタと陸に上がって、また別の水たまりに移っていった。決して素早くないその動きが、なんだか滑稽に見えた。

 

長谷川眞理子氏の「進化とはなんだろうか」という学生向けの生物学の本に、鳥が場所を移動すること、例えば歩いて餌をさがすこと、飛んで場所を変えること、の中にも行動の最適化があるのだということを紹介している箇所があった。そのことを思い出した。

 

適応とは、生き物の形や行動が、その暮らし方に非常にうまくあっていることをさします。これは、ちょっと漠然とした言い方ですが、場合によっては、どんなことをするのが一番都合がよいかを計算することができます。これは、最適化の理論と呼ばれています。

長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』岩波ジュニア新書 129項)

 

その水庭にいた鴨たちも、最適な行動を行っていたのだろう。そして、その姿が可愛らしくも、珍しいような気がするのは、やはりこの水庭が、自然ではない姿であるからに他ならない。

 

こんな風景は自然の中には存在しない。

だから、少しでも人が手を緩めると崩壊してしまうフィクションであり、その蜻蛉のような儚さが人を引き付ける。

石上純也 入館時にもらえる小冊子 20項「平成30年度芸術選奨 贈賞理由一覧」より抜粋 から)


この水庭を設計した石上氏の狙いの中でも、この水庭は不自然なものである。一見すれば、緑豊かな自然ではあるけれど、だからこそ一層、その不自然さは強調されているように思えてくる。その中に、そんなことは御構い無しな鴨たちが、悠々としている。鴨たちは、鴨たちの行動の最適化を行って、この水庭を見つけて生活をしていた。何気ないことなんだけど、その鴨たちの行動を、その強さを、面白く見ていた。

 

 

狛犬めぐり

いつだったか、県内で発売されている雑誌で狛犬の特集が組まれているのを見かけました。うっすら興味はあったけど、その時はピンと来ず、雑誌を手に取ることもありませんでした。もう2年ぐらい前のことだと思います。しかし最近、狛犬の話題を人から聞くことがありました。その方も最近狛犬に興味を持ったということで、いろいろとお話しを伺ううちに、これは是非見てみたいな〜と思うようになりました。

というのは、やっと県南地域に行くきっかけが出来たようにも思ったからです。これまで訪れたこともなく、市町村の名前だけは聞いたことがあるけれど、自分にとって全くの未知でしたから、この地域にはこんな面白そうなものがあるんだ!というのが、理由でしょうか。

もともとは、狛犬への興味というよりは、石像への興味が自分の中にありました。「ヨーロッパは石の文化、アジアは木の文化」建築に置いてなのか、こんな言葉を聞いたことがありますが、考えてみれば、狛犬は間違いなく、立派なアジアの石の文化の顕われだと思います。

今回は3箇所行ってみました。詳しいことは既に書かれているものがあるので特に述べませんが、小松利平・小松寅吉・小林和平の3代の手になる狛犬が見れる場所は本当にたくさんある!写真で気になったものを選びましたが、実際にそれらの狛犬が置かれている神社をお参りすると、その周辺の空気感も相まって、大袈裟でなく、カルチャーショックの感すらありました。たぶん、ごくごくありふれた地域のための神社にその狛犬があるからこそ、ギャップを感じたのだと思います。「この地域ではこれが普通なのだ」という感覚。そういうものに触れることができて、嬉しくなりました。

1箇所目:石都々古和気神社(いわつつこわけ)

石川町にある神社です。こちらは小林和平作。今日伺った神社の中では1番規模が大きく、また広く訪問者を受け入れている神社でしょう。駐車場も広く、トイレもあります。長い階段を登って本殿を目指しますが...その前に、狛犬は居ました。「おわっ!いる!!」って感じ。

こんなに横幅がある狛犬は初めて見ました。「飛翔獅子」という構図なのだそうで、まさにこれこそが寅吉から繋がる系譜の特徴です。ややのっぺり気味の顔がユーモラスです。このあと見た別の狛犬を思うと、これは小林和平的な特徴なのでしょう。ユーモラスでありながら、顔面にこそ力が入っているような気迫を感じました。

2箇所目:鐘鋳神社(かねい)

棚倉町にある神社です。1箇所とは打って変わって、ひっそりとしたところでした。国道を通っていると小さな看板が方向を示してくれますが、ここ曲がっていいの?と思うような細い道でした。とりあえず進み、最終的には結構進んで鳥居の向かい側のスペースに留めましたが...。

鎮守の森に囲まれた、小さく、静かで、神聖な雰囲気のある場所です。

ここにある狛犬の苔生した姿は、素敵でした。これまた小林和平作。滑らかな肢体に気迫ある表情。左にいる子供の1匹が同じようなポーズをとっているのがとても可愛らしいです。

3箇所目:鹿島神社

白河市にある神社です。駐車場に車を停めた時から、小高い丘の上にある本殿と大きな狛犬が見えて嬉しくなります。ここもこじんまりとした神社です。

こちらは小松寅吉の作。本当に大きな狛犬です。気迫とか力強さ、わっ!とくるような凄みがあります。通常は?左側の狛犬に3体の子どもがいるのですが...1匹は右側の方に遊びにいってしまったようです☺️そんな遊び心も粋ですね。

狛犬もさることながら、この神社の立地がとても良いなと思いました。なだらかな丘の高台で、なんとなく周辺の集落を見渡せるように神社は立ち、その横の敷地は墓地になっています。亡くなった方、神さまが見守るような、そんな場所を選んだのでしょうか。

晴天で、冬ながら風もそこまで冷たくなく、本当に爽やかで気持ちの良い場所でした。何気に長居してしまいました。

鳥居に戻り、また振り返り見ると...やっぱり狛犬と本殿の存在感のバランスがすごい。この(僕にとっては)アンバランスな佇まいは、何度の何度も目に入れたくなる魅力があるように思いました。自分の中にある神社のイメージとは違う、立派な主役に、こちらの狛犬はなっています。

初めての県北地方は、車で2時間かからない場所ながら、文化の地域差を強く感じることができました。なにより、道に雪がないのが快適!!晴天の冬日、楽しい狛犬巡りとなりました。