斎藤清美術館に行ってきた。

今回の投稿は11月の初めに書いたものです。現在はこの展示は行っていません。

 

…展示どころか、なんと来年の4月まで休館とのこと。ショック!

詳しくは斎藤清美術館のサイトで確認ください。

www.town.yanaizu.fukushima.jp

 

9月に新しい展示が始まったので行ってきた。「構図か憧憬か」というタイトル。フライヤーには、稔りの会津の連作が起用されていた。単純化された黄色に輝く田んぼ、特にあのあたりによく見られる(た)のだろう、それほど大きくなくて、その土地の形をそのまま生かしたような様々の形をしたもの。今回のテーマを表すにふさわしいと思われる、単純化された平面的な表現の作品。

展示が変わるたびにここには行くし、なんなら同じ展示を何回も見に行くこともあるけれど(それもこれも年間パスのおかげ)、ここ最近、自分でも絵を描いたり、画面の構成について学ぶ機会があったりして、新しい気持ちで絵に触れられるというのが嬉しい感覚としてある。そんなに本格的にやっているわけではないが、自分では花の1輪も満足にかけず、どこが調子の抜けた物体にしかならず、怖くて濃い色を乗せられないことを学んだ。自分とプロの作品たちを比較する訳ではもちろんないが、ただ一方的に、作品から学べることは増えた。

取り上げられている「構成」というキーワードにも思うところは多く、良い観覧となりました。

 

今回の展示は主に晩年期の作品が多かったと思う。人物像とかそういったものはなく、会津の連作を中心に、京都、北海道、鎌倉…と清が住み訪ねた土地の作品が取り上げられている。海外をテーマにしたものがあったかははっきり覚えていないけど、あっても少数だったはず。生まれた場所である会津という場所に違和感を持ち続けたとも言える清が、その会津をテーマにした作品の着想はどこにあるのか、ということに焦点をあてた展示のようである。

 

展示の中には、雑誌の取材や本の中で語った実際の言葉がいくつか引用されていた。その言葉をそのまま解釈するならば、作品の着想はすべて、「構図」のようである。歩いていてそのまま絵になる構図を持っている街、それが見つけられずに苦心する街、いくつかの土地に住んだ清は肌感覚でそんな印象を、自身が住む街に持っていた。当の本人がそういうならばそういうことなのだと思うけれども、そこには生まれ故郷である会津への憧憬をも重ねているのではないか、というのが企画としてのいわんとすることのようだ。そこに正しいもなにもないのだが、思ったことを書いておこうと思う。

 

まず僕の考えとしても、きっと着想自体は、構図なのだと思う。つまり、「あ、構図的にこの場所いいね」っていう感覚。それがモチベーションだとは思う。

 

その理由として、会津をテーマにしたいくつかの連作は、その中にそれぞれのルールを持っていると感じたことがある。例えば、「会津の冬」は基本的にモノトーンの調子の中にアクセントとなる鮮やかな色がポイントで入っている。「稔りの会津」は、比較的前景と後景を意識させるような、ドラマチックというか、遠近感を感じさせる表現が多い。また、「稔り」というだけあって、収穫の秋を思わせる黄色が多用される。始めに書いたフライヤーに起用されているのもこの連作の中のものだ。それから、「さつきの会津」は、鮮やかな緑とトタン屋根の赤と青、青空を全体に配置してとても賑やかである。シンプルな線で描かれ、カラフルな彩りがなされていて、元気な感じ。「柿の会津」は、独特な表現でデフォルメされた実をつけた柿の木を登場させ、その周辺の風景とともに切り取って描いた。ちょうど北斎富嶽三十六景的な要素もあるかもしれない。いや、ちょっと違うか。

 

ずらずらと書いたけど、とりあえず今回の展示作品の中から、やや強引にルールを取るとこんな印象を僕は受けた。つまり僕が考えたのは、書き手はその連作の作品作りにおいて、ある一定の表現上の制限を設けているのではないか、ということなんです。「柿〜」の場合はあのウネウネとした柿の木を登場させて、画面のバランスを取ることが条件、ってな具合に。他の作品についても、春だから画面を元気いっぱいに、とか、秋は収穫の喜びをダイナミックな表現で、とか。冬は、グレースケールとポイントカラーで、寂しさと厳しさを表現、みたいな。もちろん常に例外は存在するということは当たり前のこととして、そんな風にこれらの作品は、構図の模索と挑戦を行う中で生まれてきたものなんじゃないだろうか、と考えた。だってもし、郷愁だとか憧憬というものが優先されていたとするなら、そんな風に表現に制限を設ける必要性は全くないし、これは全くの偏見だけど、無機的な構図の模索だからこそ、多くの作品群が生まれるのではないかとも思う。

 

清は、そのまま絵になる構図を持っている街とそうではない街という言い方をしたが、果たして会津はどうだったろう。これだけの作品があるのだから、きっと構図があった街なのだと思う。あるいは、構図がなくとも挑戦したくなるものがあったのかもしれない。いずれにしても、どうにかしてその風景の中で構図を探ろうとする欲求自体は、そこが故郷であるから、あるらしいから、ということに求められるはずだとは思う。

 

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会津の冬

というところに落ち着いて感想は以上。個人的に一番好きなのは、「会津の冬」の中の絵で、全面に杉林、中景に茅葺の家が2軒あり、後景に山並みが描かれているのが結構好き。冬の夜のほの明るさとか、杉林の異様な存在感が表現されていると思う。(上の写真は某ギャラリーさんから拝借。今回の展示にはなかった作品ですが、冬の夜のほの明るさを感じる素敵な作品だと思います。)