斎藤清美術館「大コレクション展」2

斎藤清美術館では、開館25周年を記念した「大コレクション展」を、2022年から1年をかけておこなっています。その感想の2回目です。

 

構成は以下のとおり。

 

  • 展示タイトル名
  • 印象的だった作品と制作年
  • 思ったこと

 

第2期のテーマ【旅する画家】

 

(4)来て、見て、描いた 世界編

パリ(3) 1961

グリニッジビレッジ 1962

印度(C) 1968

 

「その国はどんな国であったのか」というよりも「その国をどう見たのか」その見方に正しいも何もない。そんなことを感じた。

 

メキシコ・フランス・アメリカ・ハワイ・タヒチ・印度・韓国をモチーフとした作品それぞれが持つ個性やイメージは、大きく異なっている。その違いは、斎藤清の個人的な心象の表れ以外の何者でもない。1956年のメキシコの作品は、厚ぼったいインクと、原色というか強い色彩は、暑さを思わせるものがある。1959年のフランスは冬であったのか、何かメキシコのそれとは全く違う。そして、何か表現上のターニングポイントがあるようにも思う。インドは全体的に怖いし、韓国に至ってはそのモチーフの版画がない?らしい。

 

『パリ(3)』の作品には、それまであまり使われないような、曖昧な緑と紫が使われている。インクの厚さについても変わっていて、厚く残すような箇所は全体には使用されず、ポイントで使うに止められているものが増えたような気がする。フランスの空気感と、それまでの手法のミスマッチのようなものを感じたのだろうか。コラグラフという新しい技法を学んだのは1962年。再びフランスのモチーフに戻って制作しているものも多いようであるが、これはつまり、斎藤清が自身の中で、「何か表現しきれていない」というもやもやがあったからではないだろうか。

 

今回の展示では、基本的にある短期間に作られた作品やスケッチが多く、(旅行というイベントに絞っているので自然とそうなるのだが)、だからこそ、テーマごとの表現がおおよそ統一されており、「この時の斎藤清はこうだったのだ」というものを感じることができたように思う。そしてそれは、作家をより身近に感じることができる感覚のような気もする。

 

フランス旅行に限ったことではないと思うが、過去のあるときに得られたインスピレーション(スケッチなど)は、その後再び持ち出され、創作されるということも、作品を通じて見ることができて良かった。技術を積み重ね、新しく得られた何かで、過去に取りこぼしたものに挑戦していく。そんな姿勢を見ることができた。

 

(5)来て、見て、描いた 日本編

霊峰(12)秋(C)1980

冬の日光(法華堂)1969 墨絵・版画

奈良(B)1962

門 法隆寺 1974

石手寺 松山 1984

模様の街 大洲市 1985

 

まず『霊峰(12)秋(C)』がすごく好き。色彩の調和っていうのか、よくわからないけどいいなあと。全体に黄色がかった茶や緑の色使い。鮮やかでないけれど、その少しの緑が活きていて、なんというか、新鮮さを感じる。

 

会全体の印象としては、60年代のものが多い印象。『冬の日光(法華堂)』は、同一のモチーフを墨絵と版画ということなる手法で作品としているだけに、表現方法の違いがそう作品のイメージに影響するかをよく伝えてくれる。この日は学芸員さんの説明を受けながら観覧していたのだが、曰く、斎藤は墨絵でしかできないことと、版画における表現のギャップに葛藤していた、という。確かに。けれど、それでも版画の表現にこだわり、しかもその墨絵特有の表現は、晩年の「影」に現れているようにも思われて、追求したものの達成を感じるようなところもある。

 

個人的に奈良は好きなので、奈良をモチーフにした作品が多く見られたのも嬉しい。『奈良(B)』の作品の中には、輪郭線をしっかりと強調するような表現が見られる。(実際には柱だったりして、輪郭線だとも限らないのだが)僕はそこに、なんとなく野暮ったさを感じてしまう。(うまく言えないのだが、土臭い感じ、土着的というか…)この作品の場合、特にそうなのは、輪郭線があるものとないものが、画面の中に共存しているからかもしれない。それに比べると『石手寺 松山』はだいぶ洗練されている感じがする。すっきりしている。この作品に特徴的なのは、建造物を中心に持って来ていることによる、直線の存在があると思う。それまでは、建造物といえども歪ませていたり、なだらかな形をしているものが多かったと思う。直線的なもの。これは、洗練されていると思うことのひとつの要素なのかも。

 

全体を通して、単一でない刷り(いわゆるモヤモヤ)は、見え方は違えど、どの年代にも一貫してみられるものだと気付いた。この、主張しないけれども、ひとつの面に複雑性を持たせるモヤモヤ。これは刷る時の力加減なんだろうか。それとも、コラグラとか、そういうものによるモヤモヤのためのレイヤーがあるのだろうか。

 

 

以上、第2期の感想でした。

 

まとめて見て気付いたのですが、第2期は小テーマが二つでした。前回の投稿で間違ったことを書いてしまいました。

 

旅がテーマになっている第2期。フランスという国が斎藤清に与えた影響は特に大きかったのだろうなと、感想を書き起こしていて改めて感じました。

昔読んだ本の一節で、なんとなく思い出すものがあったので、その引用を少し。

 

「なんだか、想像していた巴里と違うみたいで……とても冷酷な街ですねえ」

「そりゃあ」向井は建築家らしいものの言い方をした。

「この巴里の家も道も教会も石の集積だし、その石に一つ一つの歴史の重みがあるからじゃないかな。ながいながい間の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。」

遠藤周作『留学』第3章 爾も。また  より)

 

ありがとうございました。