「コレクターズ エピソード1」という今回の企画。」山下武右氏という「個人」が蒐集した斎藤清の作品を展示するという企画です。それこそ、今年行った県美の「ミネアポリス美術館展」のように、美術館などの機関単位の収蔵作品を中心にするとかはよくあると思いますが、より私的な、そして現在も医師として活躍されている全くの個人に、フォーカスをするというのは、とても面白いと思いました。
これ以前に、山下氏の地元である周南市(山口県!)では同様のコレクションを展示した企画展があったとのことで、それを下敷きに、今回の展示は行われたようです。
以下引用
独自に新しい表現様式を開拓し、後世の人々に大きな影響を与え、美術史にその名を刻む、偉大な芸術家たち。
彼らの多くは、あまりに先をいくイメージゆえに、同時代人にはほとんど理解されないまま、生涯を終えました。
そのまま忘れ去られ、作品も散逸、その功績は永久に失われていたかもしれない―
そうはならなかったのは、
そこに、彼らと同じ先を見通す眼と感性を持つ「コレクター」がいたから。
先進的な芸術家が生きている時に、優れたコレクターがいるということ。
その幸運が、作品が正しく後世に伝わるか否かの命運を分けるのです。
引用終わり
今回の企画展ではこのように説明がなされています。今でこそ世の教養とされるような芸術家も、実は彼らを支えた、あるいは見出した人たちの存在なしにはありえなかったものです。
注目されることは少ないパトロンの存在感というものを(山下氏の写真込みで!)、感じることができました。
さて、ここからはいくつか印象に残った作品について。
エンジェル(飛天) 1957
見た瞬間「あ、版画ってこういうのだよね」というのを感じる作品。そういうのって、意外と斎藤清の作品には少ないと思っている。翻って、では何が斎藤清を、斎藤清たらしめてるんだろうとか、考えさせられる。
秋の祇王寺 京都 1964
鮮やかな色を使うのは晩年の特徴のように思ってしまうけど、この頃からあるんだなと改めて思う。背景の紅葉の黄色が綺麗。
庭 三千院 京都 1964
上と同じく。茂みを色と影で結構写実的に描いていると思う。写実的というか、立体物らしく。京都シリーズは色が鮮やかだ。
今日の展示にはなかったけど、秋の祇王寺の作品のように、手前に柱が並び、その背景が美しい色の組み合わせって作品が、そういえばあったような気がする。
今年の春の企画展では、「埴輪」をメインに取り上げ、斎藤清が描いた埴輪や、1950年代前後の埴輪をとりまく社会的イメージについて掘り下げていくという内容になっていました。そちらもとても面白かったのですが、実は今回の展示も、1950-60年代の作品が中心とのこと。再び、埴輪を始めその周辺の作品を多く見ることが出来ました。
そこで気付くのは、斎藤清は、同じモチーフでもって、いくつか作品を残しているらしいという事。というのは、今回の展示は、柳津の斎藤清美術館には収蔵していないもの(実際には比較のために、幾つかは収蔵のものがあります)ばかりとのことですが、今までに見たことあるなっていう作品があったからです。僕は斎藤清の作品の全てを見ようと思ったこともなく、その全体数も分かっていないのですが、結構数多いんだろうな〜。
それと、春の企画展の中で、斎藤清は結構時代の潮流に敏感な人らしいというイメージを持ったので、60年代を経て明るく軽くなる70年代に、斎藤清は社会に何を見たのだろうというのが知りたくなりました。
過去に企画展で取り上げてるだろうけど、年代を追って深く見ていけるのがこういう美術館の魅力だな〜と思います。